彼女が女であると知った時。
今更のように彼女の華奢な身体を思い出す。
そうだ、違和感を覚えていたじゃないか。
子供みたいに華奢だって。
自分とは違って身体が小さいって。
腕だって欲しくて、乱暴にしたら折れてしまいそうだって。
それなのに、彼女は、
その小さな身体で精一杯、暴力という物の前に立ちはだかる。
それを見る度に、俺は、俺は‥‥
不運なのは俺の運命みたいなもんだろうか。
どうして俺はいつもいつも、厄介な所に出くわして、厄介な事に巻き込まれるんだろう。
「死ねぇええええ!!」
血走った目で俺を見た、巨漢の男の雄叫びが耳に残る。
まさに今、大捕物‥‥って所に俺は出くわし、やっぱり巻き込まれた。
しかも、最悪な巻き込まれ方だ。
俺は何もしてない。
ただ通りかかっただけなのに、突然「死ね」なんて言われて刀を振り上げられた。
この時ばかりは俺も死ぬかもしれないと思った。
いや、何度も死ぬなって思ったんだけど、その度に運が良いのか悪いのか、助かっていたりする。
でも、こればかりは絶対に無理だ。
だってもう、
刃は目の前まで迫っている。
「っ!!」
ああ、今度こそ――
死を直感しても、実感は出来ない。
死を受け入れるのは怖かった。
でも、目を閉じる暇もなかった。
暇がないんじゃない‥‥俺は、もう、恐ろしすぎて動けなかったんだ。
赤が、舞った。
鮮やかな、どこか美しい赤が。
ああ、斬られた。
俺は殺されたんだ。
痛みも、衝撃も何も感じなかったけれど。
俺は、
死んだんだ‥‥
そう、他人事のように感じた。
それに、柔らかな飴色が混じるまでは。
「っ――」
唐突に割り込んできたかのように、鮮やかな赤に飴色が混じる。
そして、かつて感じた事のある野蛮さとは無縁そうな柔らかな香りがして。
死の冷たさとは違う、優しい香りがして。
俺の、
目の前に‥‥
「 」
小さな、身体が潜り込んで。
この時になって漸く、俺は分かった。
空に散った鮮血は俺の物じゃなく。
そいつの。
のものなんだって。
どうして?
俺は小さな背中に問いかけた。
どうして?
あんたはそんなに小さな身体で。
俺を、庇おうとするのか。
こんな、俺なんかの為に、傷を受けようとするのか。
どうして。
どうして。
俺は‥‥
「なんで、だよ」
思わず、俺は恨み言のような言葉を零していた。
気がつくと浪士は全て捕らえられ、俺に斬りかかってきた巨漢の男も幹部連中に取り押さえられている。
「なんで、こんな事、するんだよ‥‥」
驚いたように、他の連中が俺を見ていた。
突然何を言い出すんだ、っていう顔で。
だけど、今の俺にはそんなの眼中に入らなくて。
「龍?」
振り返るの胸元が、ばっさりと斬られていた。
白い肌に赤い血が、やけに、映える。
だからその程度で済んだ。
俺だったらきっと、胴を寸断されていた。
でも、だけど、俺がいなければは傷を負うことはなくて。
いいや、そんなことよりも、
「なんで! なんで俺なんか庇うんだよ!」
どうして、どうして俺を庇う?
わざわざ怪我をしてまで、どうして俺を庇う必要があるんだ?
俺は浪士組の一員でもなければ、こいつらの仲間でもない。
ただの居候で、いてもいなくてもどうでもいい存在だ。
いや、むしろ余計な秘密を知っているだけにいない方がいい存在。
助ける義務も、守る義務もない。
なのにどうして、俺を庇ったりするんだ。
「おまえを守るように言われてるからだよ」
そんな俺の問いに、は迷いもせずにそう言ってのける。
誰がそんな事を言ったのか分からない。
でも、そんな命令をに出した奴に、俺はふざけるなと言ってやりたかった。
ふざけるなと言われるべきは本当は、俺の方だ。
死にたくないくせに。
助かって良かったと思ってるくせに。
庇われて、守られて、悔しくて情けなくて、どうしようもなくて、に当たり散らしているんだから。
それは分かっていたけれど、止まらなかった。
止められなかった。
ぐちゃぐちゃと腹の奥でよく分からないものが渦巻いて、俺はそれを吐き出さずにはいられないんだ。
そうしなければ‥‥俺が狂ってしまいそうだった。
なんでなんでなんで
どうしてどうしてどうして
こいつは俺なんかを守るんだ。
命令だからって。
怪我をしてまで。
俺を。
どうして、
こんな、
小さな、
身体をしているくせに。
そうだよ、だって、
は、
女なんだ。
女なんだよ。
それなのに、
俺を。
俺なんかを。
庇って、
怪我を――
「女がっ、出しゃばるなよ!!」
思わず口を突いて出たのは、そんな、くだらない暴言だった。
女のくせに。
と、そう嘲るような言葉だった。
その、女に庇われてる俺が言うなんて、間違ってるとは思う。
だけど、止まらなかった。口から、飛び出した。
がつん!!
次の瞬間、遠慮のない一撃に頬を殴られた。
衝撃に一瞬脳髄までが揺れ、俺は何がどうなったのか分からないという風に地面に転がっていた。
「‥‥総司」
驚くことに、俺を殴ったのはいつも俺の失言を拳骨で指導する原田ではなく‥‥沖田だった。
沖田は、刀で斬りつけるんじゃなく、
その、右手の拳で俺を殴った。
こんな‥‥どうしようもない人間を斬り捨てるんじゃなく‥‥殴った。
殴ったそいつは本気で侮蔑するような眼差しを向けていた。
「総司」
「こんなどうしようもない人‥‥斬ってやる価値もない」
の戸惑うような呼びかけに、沖田はそう言ってくるりと背を向け、
「庇ってあげるだけ、無駄だったね」
吐き捨てるように言い、彼女の腕を取るとすたすたと、その場を後にする。
俺はその後ろ姿をぼんやりと見ながら、今更のようにやってくる後悔の念に‥‥思わず唇を噛みしめた。
自分の暴言の後、
がどんな顔をしたのか‥‥俺は見なかったわけじゃない。
あいつは、
あいつは、
酷く傷付いたような目をしていたんだ。
「井吹」
前川さんの所に帰った俺は、殴られた頬を冷やすこともなく部屋に閉じこもっていた。
誰も俺の所には来なかった。
当然だ。
あんな事を言った俺を‥‥誰が構ってくれるって言うんだ。
は俺を助けてくれたっていうのに。
その恩人に、俺はひどい事を言った。そして、傷つけた。
もしかしたら、もう、この屯所に戻らない方が良かったのかもしれない。
どこぞで野垂れ死んだ方が良かったのかもしれない。
でも、死ぬのが怖くて‥‥俺はここに戻ってきてしまった。
そして一人閉じこもって、膝を抱えてふてくされていた。
ふてくされたいのは‥‥の方だって言うのに、な。
そんな俺の元にやって来たのは、驚くような相手だった。
「‥‥ひ、土方、さん?」
一声すらかけず開かれた襖の向こうに立っていたのは、その人だった。
土方さんは酷く不機嫌そうな顔で、俺を睨み付けている。
それこそ、視線だけで射殺しそうな、そんな眼差しで。
思わず、暴言を吐いた罪で腹でもつめさせられるんじゃないかと‥‥思った。
だけど土方さんは俺をぎろっと睨み付けた後、静かに後ろ手に襖を閉めて、ずかずかと俺の目の前にやってきて、
「おらよ」
突然、俺に何かを放り投げた。
「うわっ!?」
どさ、と投げられたそれを慌てて受け止めれば、掌にひんやりと、冷たい感覚。
見ればそれは濡れた手拭いで‥‥恐らく、井戸水で濡らしたものなんだろう。
それを土方さんが持ってきてくれた事に、俺は驚く。
「勘違いすんじゃねえぞ。俺じゃねえ」
土方さんはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らして言い捨てた。
「誰がてめえみたいな自分勝手な八つ当たりをした人間にこんなもん持ってきてやるもんか」
「え‥‥?」
「が、どうしてもおまえに持ってけっていうから、仕方なく、だ」
そうして続く、、の名前に俺は思わず息を飲む。
あんな酷い事を言ったっていうのに‥‥あいつはまだ、俺に対してこんな事が出来るのか。
どこまでお人好しなんだ。
いや、そのお人好しさに安堵してる俺が何を言う。
怒ってなかったんだ、そう分かって安堵している俺が‥‥何を‥‥
「‥‥」
唇を噛んで俯く俺を、土方さんはちろっと横目で見る。
それから盛大にため息を吐き、面倒くさそうに舌打ちを一つして、こう口を開いた。
「んな、辛気くせえ顔してるくれえなら‥‥謝りに行けば良いだろうが」
謝る?
誰に?
驚いて顔を上げれば、土方さんは真っ直ぐに俺を見下ろしていた。
その目には俺を責めるような色も、蔑むような色も見えない。
ただ俺の真意をしかと見定めるような強さがあっただけだ。
「お前の気持ち、分からなくもねえ」
俺だって、と土方さんは言う。
「女であるあいつに守られて、庇われたら、情けねえと思うし、腹も立って八つ当たりの一つでもしたくなるだろうよ」
自分の無力さを呪って、酷い言葉の一つだってぶつけてしまいたくなる。
土方さんは思い当たる事でもあるのか、少しだけ顔を歪めて苦い顔になって、
「でも、ひでえ事を言ったと思ったなら‥‥謝ってやれ」
静かに、諭すように、言葉を繋げた。
そう、俺は、酷い事を言った。
自分の情けなさが堪らなく恥ずかしくて、に八つ当たりをした。
あいつは何も悪くない。
それが命令だからやっただけのこと。
出来る事だからやっただけのこと。
怪我をしても、
にしか出来ない事だったから。
それを、俺はただただ自分の子供じみた感情で、突っぱねて、なおかつ、傷つけた。
は何も悪くない。
分かってるんだ。
「女が出しゃばるな」
分かってる。
本当に言いたかったのはそんな事じゃない。
怪我をした事を謝りたかったのかもしれない。
もうこんな危ない事をしないでくれと頼みたかったのかもしれない。
いや、それ以上に、
俺は、
「ありがとう」
と感謝をしたかったんだ。
あいつのお陰で、俺は二度も命を救われた。
あいつに生かしてもらったんだ。
俺は死にたくなかった。
だから‥‥生かしてもらえて嬉しかったはずなんだ。
なのに、自分への苛立ちとか、そういうのが、言葉を、感情を歪めてしまっただけなんだ。
俺は、
あいつに感謝したかったはずなのに。
「土方さん‥‥俺は‥‥」
「それ以上言うな」
身の内でぐるぐると回る言葉を吐き出そうとすれば土方さんに遮られた。
と同時にくるりと背を向けられ、俺の役目はここまでだと言わんばかりに出て行こうとする。
「伝えるべき相手が、違うだろ」
そうだ。
俺が伝えるべき相手は、土方さんじゃない。
土方さんから伝えてもらいたいなんて、そんな都合の良いことを考えちゃいけない。
これは俺が、きちんと、あいつに伝えなければいけない言葉なんだから。
でも、
果たして、
聞いてくれるだろうか?
会ってくれるだろうか?
あれほど、酷い言葉を言った俺に。
そんな迷いに一瞬、視線が落ちる。振り絞った気力も萎える。
土方さんはくだらないと笑い飛ばした。
「俺の副長助勤を甘く見るんじゃねえよ」
それは励ましの言葉なのか。それとも、甘えるなと言いたいのか。
「てめえみてえなガキに、本気で腹ぁ立てて怒るような奴じゃねえよ。あいつはな」
ただ、自分の事のように誇らしげに騙る土方さんに‥‥俺は強く、背中を押されたような気分になった。
あなたはやさしいひと
が女である事に葛藤を覚える龍之介の話。
彼はなんだかんだ言って優しい人なんですよね。
だからこそ、女の子に庇われている、傷付いてい
るということが許せなくて、でも、それを素直に
出せなくて、こういう形で傷つけて、また落ち込
むんじゃないかなと思うんです。
復活させるのが土方さんっていうのは意外性を出
したくて、です。
本当は左之さんにしようかと思ったんですけど、
ならあえて、土方さんに頼むかな‥‥って。
因みに総司は暫く龍之介虐めに精を出します☆
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