13
――やけに世界が静かに聞こえた――
次には世界がぐるりと回るのが分かった。
白煙が立ち上っていた。
ゆっくりと動く世界の中で‥‥倒れ行く仲間達を見た。
何も聞こえない。
ただ、
やけに胸が熱かった。
火傷しそうなほど‥‥熱くて‥‥
風はこれほどに冷たいのに、そこだけはやけに熱くて。
そっと触れれば指先に何かが触れた。
見ればそれは赤い色をしていた。
ああ、そうか、
自分は――撃たれたのか。
ぐるりと世界が回る。
やけにゆっくりと世界が回る。
突然足下が消失し、強い力で引きずり下ろされた。
眼下に見えるのは‥‥激しい‥‥荒波。
ああ。
俺は、
死ぬ――のか。
――また、会おうな――
彼女の言葉が蘇る。
ああ、
これでは、その約束が果たせない。
「――斎藤さん!!」
誰かの声が聞こえた。
聞き覚えのあるものだが、もう、誰のものか分からなかった。
彼は祈った。
どうか――泣かないでくれ――
最後に見上げた世界は‥‥彼女のように、どこまでも優しく‥‥暖かかった。
まるで今までの無理が祟ったかのように、はそれから寝込むことになってしまった。
随分と風邪を拗らせてしまったようで、二日三日と高熱のためにまともに立ち上がることも出来なかった。
毎日薬を飲ませ、なんとかまともに動き回れるようになったのは‥‥それから五日ほど経ってからだった。
そんな時、会津がいよいよ劣勢と聞き、その報せにより仙台藩が戦いを放棄、新政府の意向に従うという恭順派の姿勢
を見せ始めた。
煮え切らない仙台藩に見切りをつけ、榎本は更に北へと向かおうと言い出した。
彼は気にくわないと言った。
そもそも慶喜公は新政府軍に恭順し求められるまま今も謹慎している。
だというのに薩長を中心とした新政府軍は将軍から何もかも取り上げ、そして幕府に関わった全ての人間を根絶やしに
しようとしている。
それが‥‥気にくわないと。
彼らに理不尽に虐げられている人々のために、榎本は新たな国を作ろうと‥‥本気で考えているようだ。
新しい国を、共に作ろうと榎本は言った。
北へ向かうか、
それともここで戦い続けるか。
その決断は‥‥先送りにされることとなった。
母成峠での戦いが終われば、大鳥らの部隊も仙台にたどり着くだろう。
ひとまず大鳥の合流を待って、最終的な決断を下そうと言うのだった。
「おい。」
駆けずり回る彼女の襟首をがしりと掴む。
うげ、とは呻き、掴んだその人を睨み付ける。
「なにすんですか。」
苦しかったらしい。
涙目になりこちらを見る彼女に気付いて手を離すと土方は苦い顔になった。
「まだ寝てろって言っただろうが、何勝手に動き回ってんだ。」
まだ熱があるのに‥‥
とこう言うが彼女はけろっとした顔で、
「え?私もう平気ですけど。」
などと言うのである。
怒り‥‥を通り越して呆れる。
大鳥の合流を待っていた一行ではあったが、新政府軍はすぐそこまで迫っている。
いざ出発という時にもたついていたら蝦夷に向かう前に討ち取られてしまう。
少しでも出来ることから準備を‥‥ということでは忙しく動き回っていた。
高温が続いた二日間は起きあがることさえままならなかったというのに、ましになった途端にこれだ。
重たい荷物を持って右へ左へと駆け回るその姿に土方は文句の一つも言いたくなる。
もういっそ、暫く部屋にでも閉じこめておければいいのに。
と、そうもいかないのが悲しいかな今の現状だ。
なんだかんだと無理をさせて申し訳ないのだが‥‥彼女に動いて貰えて助かっている部分は大いにあった。
「‥‥せめて、走り回るのはやめろ。」
彼なりにこれが最大の譲歩。
溜息と共に頭をこつんと叩かれ、は目を丸くする。
それから彼の気遣いに「はい」と嬉しそうに笑う彼女に吊られて男も表情を緩めた。
「ところで、土方さん今後の予定なんですけど。」
「ああ、それだが‥‥」
土方は口を開いて、ふと、前方に人影があるのに気付いた。
「――島田?」
「え?」
彼の呟きに驚いて前を見れば‥‥城門の前にその人の姿がある。
見覚えのあるがっしりとした大きな身体。
そして、どこか愛嬌のある顔立ち‥‥
母成峠に向かったはずの仲間の姿。
「ご無事で何よりです‥‥」
再会に島田は安堵したように表情を緩める。
どう見ても彼の方が無事ではなく‥‥あちこち負傷しており、その表情には疲れの色がありありと出ていた。
そして彼が従えている隊士の数も会津で別れた時より少なくなっている。
だが、
「無事で何よりだ‥‥」
彼は無事だった。
それが嬉しかった。
「追いついたようで良かったです。」
ばたばたと慌ただしく出立の用意をしている所を見ると、ここで再会できなければ二度と会うことが叶わなかったかも
しれない。
「良かった。」
と言いながら、は自分の視線がある男の姿を探している事に気付く。
傷だらけの隊士達はもう数えるほどしかいない。
その中に‥‥
「土方局長‥‥」
島田が怖いくらいに真剣な面もちで彼を見た。
その目には涙が浮かんでいた。
続く言葉は、分かった。
「斎藤さんが‥‥」
だって、そのどこにも‥‥
「戦死なさいました。」
彼の姿がなかったから。
――きっと‥‥また‥‥――
また会おうと言った自分に応えてくれた、あの人の声を思い出す。
彼はあまり、気休めを言わない人だった。
それが返って苦しめるだけだと分かっていたから。
でもあの時は‥‥そんな言葉を返してくれた。
また会おうって約束してくれた。
ひくりと喉が震えた。
分かっていたことだけど‥‥やっぱり‥‥
受け入れるのが苦しい。
斎藤は銃弾を胸に受け、崖から落ちたと島田が震える声で紡ぐ。
死体は上がってはいないが、多分、見つからないだろうと誰かが言った。
あそこは潮の流れが早いから。
「‥‥申し訳ありません。
自分が‥‥ついていながらっ‥‥」
悔しげに告げる島田に、土方は首を軽く振った。
「苦労を掛けたな、島田。
おまえたちが生還してくれて良かった。」
それがなによりだと優しい声で言うと、島田の目から堪えきれずに涙が零れた。
「っ」
慌てて俯き、目元を必死に擦る。
土方はそれを見なかった振りをするように視線を逸らすと、
「おまえらには今まで世話を掛けたが‥‥
これからの戦いはより厳しいものとなるだろう。」
彼は目を伏せて言葉を吐き出す。
「おまえらは‥‥もう十分戦ってくれた。」
言葉を選ぶように、彼は少しだけ沈黙する。
もう十分だ。
とでも言いたげな言葉に決然とした瞳で島田は顔を上げた。
「この命は、既に新選組へ預けています。
俺達はどこまでも土方局長についていきます。」
他の隊士たちも強く頷いている。
「我々は、新選組として戦いたいのです。
信じた義を果たすために生きたいのです。」
迷いのない真っ直ぐな瞳を向けられて、土方は驚いたように目を見開いていた。
「この‥‥馬鹿野郎どもが」
やがて土方は顔を歪めて吐き捨てながらも、優しい眼差しで隊士立ちを見回した。
本当に‥‥大馬鹿野郎ばかりだ。
は思った。
勝ち目がないのは分かっている。
ここにいる皆が気付いている。
足掻くだけ無駄な事だって‥‥
降伏すれば、命ばかりは助かるかも知れないのに。
でも、
彼らにとってそんな事はどうでもいいことなのだ。
ただ、
自分の信じたものを貫くためだけに‥‥生きている。
愚かと言われようが、彼らはただ、自分の心こそを信じて、前に進むのだ。
きっと彼らは恐れない。
死ぬ事なんて。
「大馬鹿野郎。」
だけど、
そんな生き様が、
「格好いいです。」
は誇らしく思う。
「‥‥」
夕日に染められた町並みをじっと見つめながら土方は口を開いた。
振り返らなくても彼女がそこに立っているのは分かる。
伸びた影が自分の隣になくても、彼女がそこにいるのが当たり前のように。
「忙しくなりますね。」
はこちらの言葉を待たずに静かに告げる。
これから、忙しくなると。
だから今は何も言うなとでも言うように。
ごめんと謝る事も、大丈夫かと心配する事も、彼女はさせてくれない。
彼女はいつだって先を見ている。
前だけを、真っ直ぐに。
振り返るのは今ではない。
泣くのは今ではない。
未来を見て、走り続ければいい。
そう、
彼女に背中を押された気がした。
「そう‥‥だな。」
ふっと笑った。
そうやって何度‥‥自分は許されただろう。
自分の罪を。
何度、
彼女に許されたのだろう。
そしてこれからも、
何度でも‥‥は自分の罪を‥‥許し続けるのだろうか。
笑って、許して、
傍に居続けてくれるのだろうか。

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