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結局。
沖田が来た事では早々にその場を離れる羽目になった。
稽古を押しつけられた斎藤の様子も気になったし、何よりがあの場に居続ければ沖田も居座ることになると思ったからだ。
そしてその彼の行動一つに千鶴がびくびくしているのに気付いたから。
折角息抜きにと誘ったのにそれでは可哀想なので、は彼を引き連れて退散する事にした。
また来ると言って。
「ってばどうしちゃったわけ?」
並んで歩く沖田が訊ねてくる。
何かと顔を見れば、彼はにやにやと悪戯っぽい表情をこちらに向けていた。
どうした、とはなんのことか。が逆に訊ねると、彼の笑みは一層意地悪なものへと変わる。
「とぼけちゃって。千鶴ちゃんのことだよ」
「千鶴ちゃんが、何?」
「あんな風に優しくするなんて、らしくない」
「その発言じゃまるで私が優しくない人間みたいだ」
「優しくはないと思うけどね」
しれっと失礼な事を言ってのける悪友に、は肩を震わせた。笑ったのだ。
違いない。自分は優しい人間とはお世辞にも言えないだろう。
だが笑ったのはそれだけではなかった。
「総司こそ千鶴ちゃんにやけに構うんじゃない?」
人の事をどうこういう彼だって、同じじゃないかと思ったからだ。
彼の方こそ、本来ならば千鶴のような人間に興味を示すはずがなかった。
彼女のように弱くて何も知らない、新選組にとっては何の役にも立たない少女の事になんて。
興味どころか見向きもしないはずだ。
「まさか気に入った?」
彼がしたように意地悪く問いかけてやる。と、沖田はにこりと子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「うん、楽しいよ。彼女」
「……」
「からかい甲斐があるし」
沖田が来るといつだって警戒するくせに、少し優しい声を掛ければすぐに警戒を解く。
冗談を真に受けて、真っ直ぐに目を向けて言葉を返してくる。
きっとこの世の中に醜いものなんて何一つないと馬鹿みたいに信じているのだろう。
あの純粋で迷いのない瞳を見ていると、
「踏みにじってやりたくなるよね」
子供のように笑う彼の唇から零れるのは、子供のような残酷な言葉である。
は溜息を零した。
「悪趣味」
ばっさりと切り捨てれば、彼はそうかなと小首を傾げ反論を口にしてみせた。
「僕の方が分かりやすい分マシだと思うけど?」
などと言われては黙っておけない。
確かにも相当根性が曲がっているが彼程ではない。少なくとも、いたいけな少女の気持ちを踏みにじってやりたいなどとは思わないのだ。
そう反論しようと睨み付ければ、翡翠の瞳が真っ直ぐにこちらを睨み返して、
「優しい顔して心の中で何考えてるのか分からない誰かさんよりも、僕の方がまだ可愛げがあると思わない?」
――トン、と男の手の甲が女の胸を叩いた。
「何……考えてるの?」
トンと、もう一度。
まるでそこに閉じ込められた何かを、叩き出そうとするかのように。
は静かに男を見つめ返す。
食えない笑みを張り付けた瞳を真っ直ぐに見つめ返し、そして静かに問うた。
「気に入らない?」
問いに男の形のよい眉が跳ね上がる。口元には歪んだ笑みだ。
「質問に質問で返すなんてちょっと狡いんじゃない?」
「狡くて良いよ。で、気に入らない?」
「気に入らないね」
笑顔のまま、瞳の奥だけが冷たくなる。
面白くないといった顔だ。そんな彼の様子に更にはへえと声を漏らした。
「随分と彼女に肩入れするじゃん」
「だって面白いもん。彼女」
「それだけ?」
「それ以外に何があるの?」
「さあ、どうだろう」
絡まり合った二人の視線が見えたならば、ばちばちと火花を散らしていた事だろう。
お互いの本心を見極めようとさぐり合い、そして同時にお互いが相手の力をはね除けようと互いに牽制しあう。どちらも一歩も退かず、互いの間では力の拮抗でばちばちと見えない火花が散っていた。
「やめた」
その無言の戦いに決着をつけたのはだ。
くつりと笑うと視線をふいと逸らして歩き出した。
彼女と戦って勝敗がつかないのはいつもの事だ。だが、今日ばかりは納得がいかない。何故なら満足のいく答えが一つも得られていないから。
「は何考えてるの?」
「さんって、すごく優しい人だね」
千鶴の呟きに、入れ替わるようにやってきた藤堂は首を捻った。
「が……何?」
聞こえなかったわけではない。だが聞き間違いをした気がして彼はそう聞き返した。
すると千鶴は手元の包みを見つめながら、彼女の優しさを噛みしめながら、もう一度こう告げるのだ。
「すごく、優しくて素敵な人だよね」
色とりどりの金平糖。
それは甘く、口の中で溶ける。
まるでみたいに甘く、優しく。
「ああいう人に憧れるなあ」
ふわりと千鶴は目元を綻ばせ、それはもう嬉しそうに笑った。
この屯所に来て初めての無防備な笑みに、藤堂は一瞬目を奪われた。
そんな風に笑えるのかと驚くと同時に、そんな嬉しそうな千鶴の言葉にちくりと罪悪感が生まれる。
「……そう、だな」
彼に否定の言葉なんて言えない。
漸く笑えるようになった彼女の希望を、奪う事は出来ない。
だけど、そうだときっぱりと肯定してやる事も出来なかった。
は、
あの優しい顔をした女は、
新選組の副長助勤なのだ。
鬼の副長を支える人間なのだ。
――そう、彼女は人斬り新選組の幹部隊士。
誰の命であろうとも、それが組織の命であれば躊躇わずに斬り捨てる非情な人斬り。
今は千鶴に優しく接していたとしても、一度彼女が組織の、近藤の妨げになるのであれば刃を向けるのだろう。
優しい笑みを冷たい色に変えて、千鶴を殺すのだ。
きっと迷わない。
同情もしない。
ただ、何も思わずに迷わずに殺す。
それが副長助勤であるの本当の姿。
優しい顔を見せているのは、ただ土方に頼むと言われているから。
彼が斬れと言えば。
斬る。
恐らく、千鶴だけではない。
万が一、仲間が同じ立場になったとしたら。
それが近藤の妨げになる事があるならば、
は迷わない。
迷わず、斬るのだろう。
仲間であろうと――なんであろうと。
それがという人間だ。
は青空を見上げた。
頭上いっぱいに広がるのは雲一つ無い、綺麗な青い空だ。
「雪村、千鶴」
何故だろう。
彼女の事がぐるぐると頭を回り、自然と唇からその名が零れた。
雪村千鶴。
新選組の闇を知ってしまった哀れな娘。あの変若水を持ち込んだ雪村綱道の子供。
あれは果たして、自分たちの味方なのか。それとも敵となるのか。
にはまだ何も分からない。
だが、
「万が一あいつがおかしな真似をしたときには……おまえが処断しろ」
出立する前、ただ一人を呼び寄せて彼女を頼むと言った男はその口で、こんな言葉を吐いた。
冷たい無感情な目をに向けて、
「殺せ」
と命じた。
それが副長の命だ。は迷い無く頷いた。
彼が殺せと命じるのならば殺す。新選組の邪魔になるならば斬り捨てる。異存はない。
――でも、
「また……来てくださいね」
そう、寂しげに告げる千鶴の顔が脳裏に浮かんだ。
置いて行かれる子供が、母親に縋るような目だった。
それが酷く、胸をざわつかせるのだ。
心の奥の方がざわざわと騒いで、どうしようもなく苦しくなる。
何故とは己に問うが、答えはない。
「雪村……千鶴」
ざわつく胸を押さえ、もう一度名を刻む。
脳裏に彼女の嬉しそうな笑顔が浮かんだ。つられて笑いたくなる、極上の笑みが。
いつか、は彼女の笑みを消してしまう日がくるだろう。彼女から笑顔を奪い、絶望と悲しみにたたき落とす時が。
命じられれば迷わず斬り捨てよう。
組織の決定に背くつもりはない。
だけど、と彼女は思うのだ。
きっと今始末しろと言われたら。
彼女を斬り殺した後に、彼女の笑顔を奪った後に、その瞳から光が消えた後に、
ひどく、
後悔をすると思った――
何故かと聞かれても分からない。
だけどきっと、
自分は後悔する――と。
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