5
「ごめん。」
と藤堂はすまなさそうな顔で謝った。
「ごめん。」
と、何度も彼は謝った。
『伊東一派が抜ける事になった。』
騒ぎがあった翌日。
土方から告げられたのはそんな言葉だった。
昨夜の件だろう。
彼が抜けると言い出した原因は。
あの後‥‥山南からか、それとも近藤からか、事の発端を聞いたに違いない。
それを聞いて彼は新選組を抜けると‥‥そう言ったのだろう。
同時に、条件を出した。
羅刹隊の事をばらさない代わりに、隊士を分けろと。
そして、
幹部からは二人が伊東と共についていく事となった。
斎藤と、そして藤堂が。
斎藤が、間者としてだろうという事はすぐに分かった。
彼が、伊東についていくということは考えにくい。
だが、藤堂は違う。
彼は彼の意志で‥‥向こうに行った事になる。
つまりは、
いずれ敵になる、
いずれ、
斬らなくてはいけない相手。
そういう事だ。
ごめんと彼は謝った。
理由を聞くと、彼はくしゃっと顔を歪めてこう答えた。
『自分が伊東を連れてきたからこんな事になったと。』
連れてこなければ、こんな風に。
幹部がばらばらになる事なんて無かった‥‥と彼は言った。
だから、
「ごめん‥‥」
と藤堂は謝った。
謝らなくちゃいけない事なんて何もない。
は思った。
それよりも、この先のことだ。
もし彼が敵になったとき‥‥
迷わずに斬ってくれるだろうか?
藤堂は。
自分を。
とそれだけを思う。
迷ってなんかほしくない。
武士として正々堂々と戦って欲しい。
潔く、武士らしく斬ってくれるのが一番の餞だ。
そうしてくれることを願っている。
それだけだった。
でも、
そうじゃないだろうと藤堂は思った。
本当は。
本当は‥‥
と言葉を探すけれど、
「おまえのせいじゃないよ。」
が、ひどく穏やかな声でそう言うから。
それ以上何も言えなくて、藤堂は泣きたい気分になった。
「あれ、?」
こんな所でなにやってんの?
と問いかけられ、は顔を上げた。
器用に細い欄干に腰を下ろしていた彼女が振り返れば、廊下を歩いてくる沖田が見える。
「総司。」
「副長助勤が、暇なの?」
珍しいね。
と茶化されては違うよと笑った。
「ちょっと休憩。」
「こんな所で?」
「そう。」
頷く彼女に、沖田は苦笑を浮かべた。
「土方さんに用事があったんじゃないの?」
「‥‥」
そこは、彼の部屋の前。
きっとそうなのだろう。
無言がそれを証明している。
しかし‥‥
それならば何故部屋に入らないと言うのか、
「留守?」
土方さん。
ちろ、と部屋の方を見る。
はこくっと頷いた。
「みたいだね。」
「そっか‥‥
じゃあ、後で来る事にする。」
彼も用事があったらしいが、いないとなれば仕方がない。
出直してくる、と言って背を向けた彼を、
「総司。」
今度はが呼んだ。
「なに?」
彼は首だけ振り返る。
と、はこちらに、身体ごと向き直っていた。
そして、じっと、沖田の顔を見て、
「‥‥なんでもない‥‥」
首を緩く振った。
その仕草がいつもよりも頼りない気がして、
「珍しいね。」
沖田は苦笑で近付いてきた。
何がと、こちらを見上げるは‥‥やはりいつもと違う気がした。
元気がないような気がする。
瞳の色も。
いつも澄んだ色をしているそれは、曇って見えた。
「でも弱気になる事があるんだ?」
弱っている彼女を見るのは初めてだった。
どうしたの?といつもとは違う優しい声で訊ねられる。
は一瞬躊躇った。
「どうしたの?」
もう一度訊ねながら、そっと手を伸ばす。
長い指が頬の感触を確かめるように、ゆったりと撫でた。
その指はあまりに優しくて‥‥まるで頑なな心を解すかのようだった。
「総司は‥‥いなくなったりしないよな?」
心細げな音で、は言葉を漏らした。
いなくなる。
その呟きに、彼女が何に怯えているのかを察知した。
そして‥‥
「一君や平助がいなくなったの‥‥やっぱり堪えてるんだ。」
怯えているくせに、二人を見送った彼女を思いだして、苦笑を漏らした。
「‥‥」
は無言を通した。
ただ視線を伏せたので、それが肯定なのだと分かる。
不器用な女だ。
沖田は思った。
嫌なのに。
本当は苦しいのに。
何でもない顔で笑う。
笑って、見送った。
不器用なのだ‥‥
己の感情を外に出すのが。
自分の感情を、どう表していいのか分からないのだ。
だから、
笑い続ける。
笑っていれば、皆は安心するから。
笑っていれば、見逃してくれる。
物事は丸く収まる。
そのうち、自分の感情が麻痺していくのを感じながら、
笑い続けるのだ。
「総司は‥‥いなくなったりしないよな?」
もう一度、は問うた。
こちらを見上げる瞳が‥‥揺れている。
ぼんやりと見上げるそれは、無防備で‥‥
子供みたいだと思った。
が恐れているのは。
自分が、かつての敵に斬られる事ではない。
が恐れるのは‥‥
『居場所』を奪われる事――
そっと。
伸ばした手で背中を抱く。
引き寄せれば、小さな身体は沖田の腕の中にすっぽりと収まった。
彼女は逃げない。
そのまま、トンと胸におでこをくっつけた。
それどころか、遠慮がちに、沖田の着物を指先で掴んだ。
そんな事をされたのは初めてだった。
腕の中の彼女を見て、沖田はちょっとだけ笑う。
「‥‥ちょっと可愛いよ、。」
言って、よしよしと頭を撫でてやる。
常ならば文句の一つも返ってこようが、今の彼女はその気力さえないようで‥‥
それほどに、彼女が不安だと言う事で‥‥
「大丈夫だよ。」
安心させるように言った。
包み込むように優しく抱きしめてやる。
「僕はいなくならない。」
彼は言う。
「うん。」
躊躇っていた手を、背へと回した。
温もりを確かめるように。
確かに目の前にある、それを確かめるように。
「僕は死なない。」
吐息混じりに。
「死なないから。」
こめかみに触れる彼の唇から、何度も言葉が紡がれた。
それはまるで、自分に言い聞かせるようだと思った――
それはさながら。
恋人同士のように。
さながら、
愛する二人が互いの温もりを確かめるように。
そんな抱擁に、千鶴は見えた。
廊下の先に見つけた二人の姿は。
そんな風に見えた。
「‥‥っ‥」
千鶴は知らず足を止める。
口から小さく音が漏れた。
優しくを抱きしめる沖田の姿。
沖田に甘えるように抱きつくの姿。
それは‥‥どう見ても恋人同士にしか見えなかった。
とても絵になる、姿。
とてもお似合いの二人、だ。
ずき。
胸の奥が痛む。
ぐるぐると。
胸の奥が黒く、渦巻いている。
自分でも知らない感情がわき上がって‥‥目の前が真っ赤に染まった。
大好きな二人だった。
そんな二人は、お似合いだと思った。
仲がいい二人なのだ‥‥
そういう関係でもおかしくないと思っていた。
恋人同士でもおかしくない。
でも。
いやだと思った。
見たくないと。
あんな穏やかな顔で女を抱く彼の顔など。
見たくなくて‥‥
「っ‥‥」
千鶴は踵を返した。
しかし、
「おっと‥‥」
前方も見ずに走り出そうとしたものだから、いつの間にかやってきた誰かとぶつかりそうになる。
「っ!?」
土方だった。
先に気付いた向こうが一歩引いてくれた事でぶつかる事はなかったが、
「おい?」
彼は顔を上げた千鶴を見て怪訝そうに眉を寄せた。
「どうした?」
珍しく、怖い顔をした千鶴を見て声を掛けるが、
「ご、ごめんなさい!」
千鶴は逃げるように横をすり抜けていった。
その後はばたばたと廊下を走って行ってしまう。
「なんだ‥‥?」
後ろ姿をしばし見送り、やがて彼もそちらを見て‥‥
「‥‥‥」
足が止まった。
視線の先に二人がいた。
千鶴が見た光景と同じそれ。
寄り添う二人の姿に、一瞬、頭が痺れた。
もしかしたら、
と、
そう思った。
姿が見えない彼女に、
また自分の所に来ているんじゃないかと思った。
きっと、
不安になっていると思ったから。
だから、
きっと‥‥また、自分を頼ってくるんじゃないかと‥‥
「なんだ‥‥」
と彼は笑った。
「俺じゃなくてもいいんじゃねえか。」
それは自嘲じみた声だった。
が弱みを見せるのは自分だけ。
何故そんな風に思ったのだろう。
彼女が気を許したのは自分だけだなんて。
何故そう思ったんだろう。
‥‥何故‥‥
それが――寂しいと思うのだろう?

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