「きゃぁあ!」

 

暗闇の中放り込まれて千鶴は声を上げる。

次に来る衝撃に備えてぎゅっと目をつぶった。

が、しかし、

 

あれ?

 

派手に倒れ込んだ割には痛くなかった。

それどころか‥‥

身体の下になんだか柔らかいものがあるような‥‥

 

「ずいぶん大胆な登場だね。」

 

身体の下から声がした。

声に驚いて目を開ければ、

 

「お、沖田さん!?」

 

自分の真下には沖田の姿があった。

彼は苦笑を浮かべてこちらを見上げている。

「まさか、いきなり押し倒されるなんて思っていなかったよ。」

くすくすとおかしげに笑いながらの言葉に千鶴は慌てた。

「ち、違うんです!悪気は無かったんです!

これはその‥‥偶然で、事故みたいなものなんです!」

必死に言い訳をする彼女に、沖田はふぅんと納得したのかしてないのかわからない返答をした。

それから、意地悪く目を細める。

「まあいいけど。

でも‥‥そんなに僕の上は居心地がいい?」

僕の上。

上?

言葉に千鶴は一瞬思考が停止し‥‥

自分の身体の下に感じる柔らかな、暖かいものに、改めて気づいて、

 

「ご、ごめんなさい!」

慌てて飛び退いた。

それこそ、飛び上がる勢いで。

離れてから頭を何度も何度も下げた。

「すいません!すいませんでした!!」

真っ赤になりながら必死で謝る彼女に、沖田は憮然とした面持ちになる。

「そんなに謝られるとかえって傷つくなぁ。」

言いながら彼は上体を起こした。

 

「君に嫌われてるみたいで‥‥」

 

はぁ。

とため息混じりに呟かれる言葉。

「そんなことありません。!

ただちょっと‥‥」

恥ずかしかっただけです。

と心の中で呟いてから、

 

「‥‥」

 

千鶴は眉根を寄せた。

今し方言われた言葉を反芻して、

 

「あの、沖田さん、今なんて?」

 

私に嫌われると傷つくって‥‥どういう‥‥

千鶴は問いかけた。

しかし、その小さな声は庭から聞こえる剣劇と声にかき消されてしまう。

その音に沖田は目をそうっと細めた。

「外は大騒ぎだね。

鬼が来てるんだって?」

「は、はい!そうなんです!」

こうしてる場合じゃなかった。

千鶴は慌てて立ち上がる。

その彼女を沖田は「やめたほうがいいよ」と短く告げた。

「君はここにいた方がいい。」

「でも‥‥」

「本当は僕が出て行ってあげたいんだけどね‥‥」

近頃土方さんはますます過保護だから。

と肩を竦めた。

それから千鶴を見上げて楽しげに笑った。

「近藤さんが出たんだよね?」

「は、はい。」

「それなら大丈夫。」

沖田は絶対の自信を込めてそう告げた。

「あの人はすごいんだ。

僕なんかよりずっと、ね。」

その瞳は純粋な憧憬に輝いている。

普段の底知れぬそれからは想像できないくらい‥‥純粋でまっすぐな瞳で、千鶴は思わずその瞳をまぶしそうに

見つめていた。

 

本当に、沖田は近藤が好きなのだと‥‥よく分かった。

 

「そういえば‥‥」

ふと、沖田はその眼差しを解いて振り返る。

「庭に出たのは、近藤さんと土方さんだけ?」

「あ、あと原田さんです。」

答えると彼はひょいと首を捻った。

気配に聡い彼は入り込んだ鬼が三人だというのは分かっている。

たぶん、裏手にいるのは羅刹隊が対応しているだろう。

だけどもう一つ、屋内に侵入した気配‥‥それがこちらにやってこないのが気になった。

ああ、そうか。

と沖田は小さく呟く。

 

がそっちに行ったんだ。」

にぃ。

と彼は楽しげに笑う。

彼の口から彼女の名が出て、少し、胸が痛んだ。

それを振り払うように千鶴は一度かぶりを振る。

さんは‥‥お一人で?」

「多分ね。」

こともなげに答える。

一人で鬼と対峙している、と彼は言うのだ。

「じゃ、じゃあ危ないじゃないですか!」

助けに行かないと。

「放っておいても大丈夫だよ。」

沖田はあっさりと首を振った。

それは冷たく聞こえるそれでもあったけど‥‥同時に彼女に対しても信頼しているのだと、千鶴は思い知らされた。

 

もし。

もし自分が同じ立場だとしたら‥‥

彼はきっと、そんな風に絶対的な信頼などしてくれないだろう。

共にいた年月の長さ。

そして、彼女の強さが。

その信頼を作り上げた。

 

今の千鶴では‥‥彼女のように、なれない。

 

「‥‥さんが羨ましいです。」

 

気がついたら、言葉が零れていた。

 

二人には、絆のようなものを感じる。

仲間とは違う。

特別な絆。

それが愛なのか違うのか、それは分からない。

でも‥‥何の繋がりもない自分にとっては、ひどく羨ましかった。

 

「千鶴ちゃん?」

 

零した声は、千鶴らしくなくて、沖田は怪訝そうな顔をした。

そのときの自分がどんな顔をしているか‥‥

千鶴は彼には見られたくなくて、視線を落とす。

 

剣戟は‥‥それからしばらくして、止んだ。

 

 

 

同時刻。

屯所内には、もう一つの動きがあった。

その部屋の中には誰もいない。

布団の中身は空っぽだった。

それもそのはず、その部屋の主は今、一番組組長と同じ部屋にいる。

 

「千鶴ちゃんに何の用?」

は目を眇めて笑いかけた。

暗闇の中、ひっそりと佇む彼は、緩やかな動作で振り返った。

鬼と呼ばれる三人の中、一番話が通じるであろう相手、

 

天霧九寿。

 

それがそこにいた。

 

鬼と対峙した事のないには、彼らの実力は分からない。

ただ、丸腰でありながら斎藤といい勝負をしていた、という事を聞くと、果たして外れなのかあたりなのか‥‥

どちらにせよ、突然襲いかかってくる、という短絡的な思考の持ち主ではないようだ。

天霧はこちらを見つめている。

まだその姿勢に戦いの色はない。

 

「‥‥彼女ならいないよ。」

その顔を見据えて言い放つ。

すると、彼は何故か笑みを浮かべた。

彼らの目的は千鶴を奪うこと‥‥

そのはずだ。

は怪訝に思いそっと目を細める。

 

「こんな所で油売ってていいわけ?

今頃、庭じゃ大騒ぎだろ。」

多分。

庭に現れたもう一つの気配は風間のものだ。

剣戟の音が庭から聞こえる。

ここに天霧がいるということは、裏手にいるのは不知火だ。

 

「大将ほっぽり出して、こんな所で何やってんの?」

「あなたを‥‥待っていました。」

 

天霧はにこりと笑った。

まさか、自分を待っていた‥‥と言われるなんて思わなくて、の方が怪訝そうな顔をしてしまった。

 

「そりゃまたなんで?

千鶴ちゃん狙いだと思ったんだけど‥‥」

「風間は‥‥そうでしょう。」

風間は。

という言葉にはもう一度目を眇める。

「あんたは違う‥‥そう言いたげだね。」

「‥‥‥」

天霧は答えずに、笑った。

それから、ちらりと、彼女の腰のものを見た。

 

「なに?」

視線を受けては腰のそれ、久遠をそっと撫でる。

「いえ‥‥何故あなたがそれを持っているのかと思いまして‥‥」

「なに、こいつの事知ってんの?」

は問いかける。

そう言えば、以前二条城で出会った時も彼は刀を見て顔色を変えたのを思い出した。

 

天霧は一歩踏み出す。

 

――久遠元初くおんがんじょ――

その下にまだ続くとは思っていなかったが、

久遠というのは確かにこの刀の名だ。

言葉に彼女はへぇと笑みを浮かべた。

「知ってるの?」

問えば、天霧は答えずに言葉を続けた。

「それは――失われた鬼の刀。」

「鬼の刀‥‥?」

そう。

と彼は答えた。

 

「東の鬼――雪村家に伝わる秘宝。」

 

千鶴が持つ小太刀とは別の。

鬼の一族に伝わる、隠された刀なのだと。

彼は言った。

 

はそっと黒塗りのそれを見る。

名も記憶も持たぬ自分が唯一持っていたもの。

寄り添うようにしてあった刀。

 

それが‥‥鬼の刀、だというのか。

 

つまり、雪村の、千鶴の血筋の刀。

 

何故‥‥自分がそんなものを?

 

「二十年前‥‥雪村の長兄が亡くなった際に失われたと聞いていましたが‥‥」

 

天霧は久遠を見てそっと目を細めた。

微笑んでいるようにも見える。

 

どこにでもありそうな地味な刀だ。

その辺に売っている刀と同じ‥‥なにも変わったところはない。

 

「どこでそれを?」

「さあ‥‥」

は正直に答える。

「私は記憶を失っていてね‥‥こいつは私と共にあったらしい。

持ってる理由なんて聞かれても分からないよ。」

「記憶を‥‥」

そうですか、と天霧は一人ごちた。

 

「しかし‥‥何故、ただの人間であるあなたが?」

 

ただの人間である彼女が、何故鬼に伝わる刀を持っているというのか。

そんな事聞かれても分からない。

だって聞きたいくらいだ。

なんでこの刀が鬼に伝わるものなのか。

なんでそれを自分が持っていたのか。

 

ただの人間でしかない自分が、だ。

 

「‥‥‥」

 

天霧はじっとこちらを見つめた。

何かを探るように。

そしてやがて、

 

「ああ‥‥」

 

と小さな声を漏らす。

何だ、と訊ねると、彼は微笑のままで訊ねた。

 

「あなたは、傷の治りが異様に早くはありませんか?」

 

問いかけに、は怪訝そうに眉を寄せた。

 

傷の治りが早い?

なんだそれは、と彼女は心の中で呟く。

そんな人間離れした能力。

 

「な――

 

ない。

と否定の言葉を口にするより前に、天霧が目前に迫った。

「っ!?」

咄嗟に反応出来た自分の反射神経に賛辞を送りたい。

ほぼ彼の拳が打ち込まれる直前では刀を抜き去って、その拳をなんとか受け止めた。

重たい衝撃に小さく呻いて、そのまま吹き飛ばされるように後ろに下がる。

 

遅れてやってきた痺れと、

 

「ぐっ!」

 

ごほと口から零れ出る血。

は慌てて口元を手で押さえた。

拳は身体に届いていない。

そう、届いたのは風だ。

風が‥‥自分の胸を思い切り叩いた。

そのまま臓物まで吐き出してしまいそうな、そんな衝撃だった。

 

噎せ返る血のにおい。

膝をついてしまいそうな、重たい衝撃に、刀を床に突き立ててとどまる。

 

油断した。

いや、違う。

この男は‥‥鬼だった。

鬼の力というのを今、思い知らされた。

 

強い。

 

はげほ、と血をもう一度吐いて、相手を睨み付けた。

ぎらりとその瞳に走るのは殺意。

そして‥‥

 

「あなたも‥‥」

 

血が語る。

 

「我らと同じ――

 

一瞬、の目に映った色は‥‥神々しいまでの――