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「一、斥候部隊なんだって?」
一人黙々と用意をしている仲間に声を掛ける。
彼は振り返り、を認めるとああと頷いた。
「先に、甲府城の様子を見てくる。」
敵がどこに隠れているか分からないからな、と答えた。
斥候部隊は少数で編成されているらしく、斎藤と、あとほんの2、3人だった。
もそれに同行できたらいいのだが、生憎と土方から伝令役としてここに残るようにと言われてしまった。
いつもなら山崎あたりがその役目をやってくれるのだが、生憎彼は別行動だ。
いない人間を頼りには出来ないので、それならば別の人間が宛われる事になる。
しかし伝令に下手な人間は使えない。
それにここにいる幹部の中で一番足が速いのはだ。
そういえば‥‥
江戸にいた頃、邸の周りをうろついていた不審人物とやらは一体誰だったのだろう?
が見回りに出るようになってからは形を潜めてしまったのだが‥‥
「まさか今の間に侵入‥‥なんてないか。」
侵入したとしても大したものは置いていない。
それどころか、羅刹隊の餌食となるのが関の山だ。
彼らは江戸に残してきたのだから‥‥
「置いてきたら置いてきたで不安。」
ぼそっとは呟いた。
江戸で頻発していた辻斬りの犯人はまだ捕まっていない。
まさか彼らが‥‥とは思いたくはないが、山南の様子を見ているとあながち見当はずれということでもなさそうだ。
藤堂に見張りを任せているからだ大丈夫、とは思う、が。
「?」
ぶつぶつと隣で独り言を言う彼女を斎藤は不審そうな目で見た。
「あ、ごめん、なんでもないんだ。」
はあははと笑い、用意し終えた彼に気づいて、
「気を付けてね。」
ぽん、とその背中を叩く。
気安い、近い距離に斎藤は何か言いたげな顔をして見せた。
「‥‥ん、なに?」
が首を捻ると、彼はいやと首を振って、視線を逸らしてしまう。
背後で賑やかな声が聞こえた。
振り返ると、今度は別の隊士達が楽しげに笑っている。
見覚えのない顔ぶればかりを見ると、新しく入ってきた隊士達なのだろう。
どうにも緊張感がないなぁとは思った。
若くて、まだ戦場にも出た事がないから仕方がないのか‥‥
「大丈夫かねぇ‥‥」
「。」
「うん?」
「少し、話がある。」
いいだろうか?といつになく真面目な様子で斎藤が聞いてくる。
はきょとんとしたまま、うん、いいよと頷いた。
場所はここではまずいらしく、斎藤は背を向けて歩き出す。
はそれに続いた。
「土方さんの事だが‥‥」
やがて人気が無くなり、静かになった所で、斎藤は足を止めた。
止めたと同時にそんな切り出し方をされ、は思わず、息を飲んだ。
「‥‥なに?」
声は努めて平静を装う。
斎藤は振り返り、真っ直ぐに彼女を見て言った。
「何か、理由があったのではないかと俺は思う‥‥」
彼らしくない、切り出し方だった。
全く何を言いたいのか分からない。
主旨が分からない切り出し方なんて。
「‥‥突然、なに?」
は眉を寄せた。
何が、
理由があったというのだろう。
彼は何を指しているのだろう。
はその言葉から探ろうとした。
すると彼は漸く明確な言葉をに突きつける。
「土方さんが‥‥おまえを突き放した理由だ。」
そこには、
きっと何か理由があると、
彼は言った。
一瞬。
の心を黒いものが浮かんだ。
世界にぽつんと出来たのは穴で‥‥それはゆっくりとの世界を蝕んでいこうとする。
ともすれば、
それを全て放棄してしまいたいほどの、
――傷だった――
心を一瞬だけ麻痺させる。
胸の奥からじわりとこみ上げる痛みを無理矢理無視して、それを全て、忘れ去る。
目を閉じて、深く息を吸い込み。
『来るな』
そんな拒絶の言葉を。
払いのけた手を。
彼の目を。
自分の記憶の底に沈める。
それはまるで作業のように。
は何も感じないようにして、そうして息を吐き出した。
心を殺すのは慣れていた。
は一瞬にして浮かんだそれを、同時に一瞬にして押し込める。
心の奥底に沈め、何もなかったように、笑う。
「なにそれ。」
「‥‥」
「私、土方さんに突き放されてたんだ?」
知らなかったなと彼女は笑った。
白々しい笑みに、ここにいるのが原田ならばきっと怒鳴りつけていた事だろう。
どうしてそんな無理をするのだと。
無理をして笑うのかと。
彼にすげなくされて悲しいくせに。
拒絶されて辛かったくせに。
寂しいくせに。
だから、
傷つかないように距離を置いているくせに――
『約束だから』
そう自分に言い訳をして、
距離を置いて、これ以上傷つかないようにしているくせに――
どうして、
無理をするのかと。
「‥‥」
突きつければ‥‥彼女は想いを吐露しただろうか。
いや、それは自分では無理だ。
そして原田でも無理なのだ。
彼女に‥‥心を開かせてやるのは自分たちでは無理。
あの男にしか、出来ない。
斎藤は溜息を一つ吐いた。
少し悲しそうな溜息だった。
「土方さんが‥‥心配していた。」
「‥‥私を?」
言葉に、は眉を寄せた。
ああ、と頷く彼に、は苦笑を浮かべる。
彼女らしくない、自嘲だった。
「土方さんが私を心配するわけがない。」
ありえないと言う科白を口にしながら「しないわけがない」と頭のどこかで聞こえた。
それを無理矢理、無視した。
「‥‥」
なおも続けようとする彼の言葉に、今し方押し込めたはずの感情が浮上しそうになる。
は首を振った。
必死に押し殺して、必死に笑った。
「いいって、分かってる。」
分かってるのだと彼女は言った。
「‥‥一、そんな嘘吐かなくていいから。」
彼が自分を案じていたなんていうのは嘘だ。
きっとそう。
は自分に言い聞かせた。
そうすることで何を守りたかったのだろうかと、はぼんやりと思う。
それさえも考えたくなくてはくすくす笑った。
「それより早く発たないと遅く‥‥」
「俺は」
の言葉を遮り斎藤は言う。
「‥‥俺は、おまえに嘘を言った事はない。」
くそ真面目な顔で、彼は言った。
に嘘など吐いた事はないと。
ただの一度だって。
「嘘、総司が労咳だって知ってたくせに。」
「あれは、黙っていただけだ。
嘘は吐いていない。」
「‥‥」
確かにとは呻く。
沖田が労咳になったのを斎藤は知っていた。
正確には彼1人ではないが、それを彼は露見するまで黙っていた。
だが、あれは嘘ではなく、彼がひた隠しにしていただけだ。
実際「沖田の症状」を斎藤に聞いたことはない。
聞けば教えてくれたかどうかは分からないが、彼の言ったことは嘘ではなかった。
本当に彼はには嘘を吐いた事がなかった。
だから、
「本当に、土方さんはを案じていた。」
その言葉は真実だ。
「顔を見るたびに、おまえの事を聞かれた。」
当人はさりげなく会話に織り交ぜて聞いているつもりなのだろうが‥‥斎藤には分かった。
の事をどれだけ気に掛けているか。
ちゃんと食事は取っているか。
眠っているか。
怪我はしていないか。
そんなの――嘘だ。
は言葉の代わりに溜息を漏らした。
嘘だと言っても‥‥多分彼は本当だと頑として譲らないだろうと思ったから。
いや、実際は、分かっていたのかも知れない。
「土方さんと何があったのかは‥‥知らない。」
だけどと、彼は絶対の自信を持ってこう言った。
「土方さんは‥‥おまえを想って、突き放したはずだ。」
彼が、の事を本当に傷つけるはずがないと。
だって、
彼は、
「優しい人だから――」
それを今は認めたくないと思った。
歯を食いしばり、傍目からでも何かを堪えているその様子に、斎藤は深い溜息を吐く。
「意地を張っていると、大切なものを失う事になる」
その言葉で、最後を締めくくった。

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