「とりっくおあ、とりーと」
そう言ってステッキを突き出す小さな魔女は、ドラキュラ伯爵が想像していたよりもずっとずっと愛らしい恰好だった。
思わず目元が下がり、初孫を見る祖父のような顔になってしまったのは仕方の無い事だ。
ドラキュラ伯爵こと、原田左之助はという少女をそれはそれは可愛がっているのだから。
「おお、可愛い魔女だな」
よく似合ってる、と彼は言って目線を合わせるようにしゃがみ込む。
大きすぎる三角帽子がずれて顔に掛かるのが更に愛らしいが、可愛い顔が見られないのは惜しい。と言う事でひょいとそれを取って乱れた髪を優しく撫でてやりながら、もう一度上から下までその姿を見て目元を細めた。
「こんだけ可愛い魔女がやって来たら、何でも差し出しちまいそうだ」
子供相手でも本気で褒める。それが原田という男だ。
色男に褒められて、は困ったような顔でどうもと頭を下げた。
そういえばステッキを差し出したままだし、彼にはまだお菓子を貰っていない。
「とりっくおあとりーと」
もう一度言って、当初の目的を果たそうとすると原田はそうだったと思いだしたような声で腰を上げた。
そうして机の上に乗せてあった可愛らしくラッピングされた袋を差し出す。
わざわざ包装までするとは、子供相手でも抜かりのない男である。
「どうぞ召し上がれ」
笑顔で渡せばの目元が、まるで喉を擽られた猫のように細められた。
あまり喜怒哀楽を表に出せない少女が、微笑んでくれたのである。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして。……と、そうだ、今食うんなら何か飲み物でも入れてやろうか?」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げた少女は、提案に僅かに首を捻った。
甘えても良いのだろうかと迷っているのだと原田は分かって、にこにこと優しく笑いながら自らはコーヒーを入れつつ、彼女が遠慮をしてしまうよりも前にココアを入れてきてやる。
そうしてこれも召し上がれと机の上に置いてやると、困ったような顔からまたはにかんだような笑みがこぼれた。
今日は笑顔のオンパレードだ。用意しておいて良かったと心底思う。
はまずココアを飲む前に、もらった包装紙を開けた。
中から出てきたのは彼女が好きでよく食べているジンジャークッキーが入っている。ハロウィン用にジャックオーランタンの形をしているのがとても可愛い。その包みの横に黒猫のぬいぐるみがちょこんと鎮座している。
これはと視線を上げれば原田は笑いながら言った。
「魔女には相棒が必要だろう」
が魔女に扮すると決めたのは昨日の事なのだが……どうやら、原田には見抜かれていたらしい。
その上でぬいぐるみまで用意するとは、本当にこの男はいい男だ。女に人気があるのはよく分かるというもの。
そういえば色気のあるドラキュラ伯爵は職員室で一人、何をしているのだろう? 外では教師も生徒も男女入り乱れてハロウィンイベントで盛り上がっているというのに。
「そりゃ、イベントに参加してたらおまえが来にくいだろう?」
原田は苦笑を浮かべた。
確かに、イベントに参加していたら原田の所には近寄りにくい。にくいというか、無理だ。近寄れない。
周りを女性生徒に囲まれて、半径3メートルにも近付けまい。のような子供は特に。
じゃあ自分の為にここにいてくれたのだろうかと申し訳なくて視線を伏せれば、大きな手にひょいと抱き上げられた。
「それに、もみくちゃにされるのは好きじゃねえんだよ」
膝の上。定位置にぽんと優しく下ろされる。
いつも遠いその綺麗な顔立ちが、すぐそばで自分を見て、笑った。
「俺は、この小さな魔女と一緒にのんびりしてる方が良い」
なんて言われてしまうと、子供のでもときめいてしまう。
実際……は子供ながらに彼に恋心というのを抱いている。
ただ優しいからという理由だけではない。確かに彼はすごくに優しくしてくれるが、悪い事は悪いと叱ってくれる。そこがは好きなのだ。甘やかすだけならば誰でも出来るが原田は違う。真の意味での事を思って言ってくれる人だ。
だから時に厳しく言われても彼女は原田に懐いた。それを、原田も可愛がってくれる。気持ちはまた加速して、気付けば一端の大人みたいに「好きだ」と自覚する程に気持ちは育ってしまっていた。
「……」
ただ、彼が自分に優しいのは自分が子供だからなのではないかともは思うのだ。
子供だから、小さくて可愛いから、だから優しくしてくれるのではないかと。
自分は小さいけれど可愛くはない。でも、子供だからと言う理由だけで可愛いと言うひとはいる。
大人になったら、もしかしたら可愛いと言ってはくれないかもしれない。こんな風に接してくれなくなるかも知れない。そう思うと、胸が痛んだ。
「?」
俯いてしまった彼女に気付き、原田は声を掛ける。
心配するような声にはっと我に返り、はふるふると頭を振った。
纏めた飴色がぴしぴしと揺れて頬を打つけれど、構わない。原田は目元を細めてどうしたと訊ねたが、は教えてはくれなかった。その代わりに、
「そうだ、左之さん。わたしにも聞いて」
はぱっと表情を明るくして振り返るとそう言った。
「聞いて……って何を?」
「とりっくおあとりーとって」
どうやら彼女は何か用意しているらしかった。
自分が嬉しかったのを、彼にも返そう、というのだろう。
これには自分も乗ってやらなければならない。
「おう、それじゃあ……トリックオアトリート」
にっと悪戯っぽく笑って言うと、は手に持っていた包みを膝の上に乗せ、ポケットをまさぐった。
右のポケットに、何かが隠されていたらしい。
何だろうか、わくわくする。
「……あれ?」
だが、右のポケットを探していたは小さく困惑気味な声を上げた。右のポケットには何も入っていなかったようだ。
「あ、左!」
そうだこっちだ、と慌てて左に手を突っ込むが、またすぐにあれと小さな声が上がる。
そして見る見るうちに顔が青ざめていく。
右のポケットに確かに入れていたとびっきりのお菓子が、忽然と消えていた。多分ここに来る途中で人混みに揉まれて落としてしまったのだろう。
どうしよう、どうしよう。
は青ざめたままで固まってしまった。
そんなに大事ではないのだが、子供の彼女にとっては一大事のようである。
原田はふぅと溜息を零し、それじゃあ仕方ないなと彼女の気持ちを解してやるように悪戯っぽい声を上げた。
「お菓子がないなら悪戯するしかねえよな」
「え、あっ、そのっ」
膝の上の少女は慌てた。
待って、違う。本当は持っていた、あったのだ、ここにと言いたいのだが言葉が上手く出ない。ただおろおろと視線を泳がせるしか出来ない少女の狼狽ぶりは……酷く珍しい。
「よし、。目を瞑れ」
「!?」
まさか殴られる? と思ったのは、彼が常日頃永倉の頭をごつんごつんと小突いているせいだろう。
女の子に乱暴な事などしないとは分かっていても、今日という日がハロウィンという特別な行事では分からない。分からないがお菓子を持っていないに拒否権などないのだ。
「……っ」
覚悟を決めてぎゅっと目を閉じる。
そうして頭を殴れるようにと差し出せば、原田は目を丸くして、噴き出した。
殴るはずがないじゃないかと。
それから、
ちゅ、
「え……?」
前髪を掻き分けられたと思ったら額に、暖かな感触。
驚いて目を開くと遠ざかる端正な顔立ち。額に残る熱と感触の余韻。
あれは一体なんだったのかと考えるよりも先に、身体が勝手に反応して彼の唇へと視線を向けてしまう。
触れたのはそう、彼の唇。
額にキスをされた。悪戯と称して。
「これで勘弁してやる」
そう言って笑ってやれば、きっとこの照れ屋な少女は困ったような顔を伏せてしまうのだろう。耳まで真っ赤にして、視線を落としてしまうのだ。照れて照れて仕方なくて、それでも最後には控えめな笑顔を見せてくれる。
そう思っていた男の目の前で、の顔がくしゃりと歪んだ。
眉根を寄せたその顔は困ったと言うよりは悲しそうな顔で、原田は焦った。もしや嫌だったのだろうか。そういえばもう親と一緒にお風呂を卒業する年頃だったか。こういう風にべたべたされるのは嫌になってしまったのだろうか。
「私、もう行きます」
それを問い掛ける事も、悪かったと謝る間も与えてもらえず、ぴょんとは膝の上から飛び降りてしまう。
、と声を掛けたが彼女は振り返らない。振り返らずに一目散に部屋を出て行ってしまった。
追いかけようと足を踏み出したはずなのに、どうしてか動かない。ショックが大きすぎた。あんなに可愛がっていたから余計に、だ。
「とうとう……卒業、か」
寂しそうに呟き、どさと力なく椅子に崩れ落ちる。
まだまだ卒業までは遠いと思っていたのにと呟く言葉は彼女には聞こえない。そして今、彼女がどんな顔で廊下を走っているかを彼は知らない。
ハッピーハロウィン2012
その五年後、好きだと告白される日が来るとはこの時の原田は夢にも思わなかった。
子供である事に悩んでいると大人
左之さんのハロウィン。
5年後「あれはそういう事だったのか」
って気付くんでしょうね。
2012.10.27 蛍
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