ぴちょんと前髪から滴がしたたり落ちる。
それが水面を揺らし、ゆらゆらと薔薇の花びらが共に揺れた。
花びらはまるで、俺とそいつを隔てるみたいに間に集まっている。
おい。
と俺は苦笑で呼びかけた。
「んな端っこに行くことはねえだろ?」
折角広いバスタブだってのに、端っこで小さくなる必要もない。
「いや、まあそうなんだけど‥‥」
は困ったように首を捻る。
分かってはいるけど、なんとなくこうなってしまうのだと。
こういう事に慣れてなくて良かったと俺は心底思った。
「あ」
ざばと腰を上げるとの目が泳ぐ。
顔の位置からして、多分、俺の股間が目に入ったんだと思う。
気にせずに近寄るとその腕を掴んで、
「こっち来い。」
花びらをかき分けてバスタブの壁に背を預けると、その前にを座らせた。
そうして後ろから抱きしめると華奢な身体はびくりと震える。
「こういうときはこうするのが当たり前なんだよ。」
「‥‥その発言‥‥なんか無性に腹が立つんですけど。」
おっと失言。
拗ねたような目で睨まれ俺は苦笑した。
「んな顔すんな。」
ちゅっと濡れたこめかみにキスを落とす。
の唇から小さく声が上がった。
「これからこうするのはおまえだけだから。」
そう言って強く抱きしめると、は照れたように目元を染めて、頷く。
そうして、とん、と俺に身体を預けるように‥‥寄りかかってきた。
「‥‥私、誰かと一緒にお風呂に入るのは久しぶりです。」
小さく呟き、は慌てて、あれですよ、と肩越しに俺を振り返る。
「父親です。」
「んな事心配してねえよ。」
こいつが他の男と風呂に‥‥なんて事、するはずはねえと分かってる。
多少女としての危機感はないけれど、男に対して‥‥いや、他人に対してそこまで気を許すこともないだろうって事は。
それにしても‥‥が昔のことを話すなんて珍しい。
そいつは、あまり両親の事を話したがらなかった。
多分、
今まではそいつの中でもしっかり整理できてなかったんだろう。
思い出として。
もう、目の前にないものとして、
思い出すのが‥‥怖かったんだと‥‥
それが、の中で少しずつ、納得できるようになったのかもしれない。
だから、
大事な思い出を俺に教えてくれるのかもしれない。
「‥‥幼稚園の頃だったかなぁ‥‥」
「随分と久しぶりだな。」
ぱしゃっと湯を掌で掬ってそいつの剥き出しになっている肩に掛けてやる。
は懐かしそうに目を細めて言った。
「だって、小学校に上がった途端にお父さん、恥ずかしがって入ってくれなかったんだもん。」
「‥‥そういやおまえ、一人っ子か。」
「はい。」
私は欲しかったんだけど、とは小さく呟く。
「精一杯、一人の子供を愛してあげたいから‥‥って‥‥」
だから、私一人だったんだと、は少し寂しそうに言った。
その言葉の通り、は一心に愛され、育った。
たくさんの愛情を注いで、大きくなった。
両親を亡くしても曲がっちまわなかったのは、きっと親の愛情があったからこそだろう。
十やそこらで親を亡くしたら、寂しくて、その代わりになる人間に甘えたかっただろうに‥‥
そいつは、甘えもせず、自らを律して、独り立ちした。
きっと‥‥その心の中に親に今まで注いで貰った愛情が、しかと残っていたから。
ただ、それが故に、
そいつはひとりぼっちになった。
家族はたった二人だった。
それを同時になくして、
は本当に一人きりになってしまった。
「‥‥土方さん?」
そいつの孤独を、俺は感じて。
だけどその孤独を、寂しいという気持ちを口にしない、出来ない、そいつの不器用さも同時に感じて、俺は堪らなくて
強くを抱きしめた。
「私、平気ですよ?」
その行動の意味をそいつは察したんだろう。
苦笑で言われ、俺は嘘吐けと、拘束を強くしながら言う。
「寂しくて堪んねぇくせに。」
「‥‥寂しくないってば。」
くすくすと笑い、は俺の手に自分の手を重ねて、だってと紡いだ。
「私、今一人じゃないもん。」
「‥‥」
「それ、教えてくれたの。
土方さんでしょ?」
「‥‥」
「私には、血の繋がりは薄いけれど可愛い妹と弟がいて、両親の代わりになってくれる叔父さん夫婦がいて。
総司や一っていう友達もいて‥‥」
それから、
と続ける声が甘く、変わる。
柔らかく頬を擽られた気がして顔をそちらに向けると、俺の方を優しく見つめる琥珀とぶつかった。
「誰よりも大事だと思える‥‥あなたがいる。」
にこりと極上の笑みを浮かべるそいつは、
俺が知っているどの女よりも綺麗で、色っぽくて、可愛くて、
どの人間よりも、
強くて、優しくて。
――愛しい――
俺は思う。
心の底から、こいつが愛しくて堪らない。
言葉に出来ないほど‥‥
「‥‥。」
「ん。」
求めるように呼んで、唇に噛みつく。
強く合わせて、優しく舐めて、きつく、吸い上げる。
「‥‥ぁ‥‥」
濡れた声が滑り落ちる。
麻薬のように思考をとろかせる甘さに、ぞくりとした。
また‥‥
「‥‥ひじかた‥‥さん‥‥」
欲しくて、
熱くなったそれを押し当てるとが恥ずかしそうに視線を伏せながら、その、と小さく呟く。
「悪い‥‥」
止められないんだ。
「何度、何度おまえを求めても、止められないんだ。」
おまえが愛おしくて。
止まらないんだ。
「‥‥そんなの‥‥」
は目元を染めながら、泣きそうな声で言った。
「私だって。」
私だって、欲しくて堪らないと言う声が、震えて、溶けた。

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