「、いるか?」
  ノックをしてから彼はなんて間抜けで、なんて酷い事を聞いたのだろうかと思う。
  いないはずなどないのだ。
  龍之介と違ってはこの部屋から出る事さえ出来ないのだから。
  「いるよー」
  しかし、自己嫌悪に陥る彼に間延びした声は少しその気持ちを和らげてくれる。
  入るぞと断りと入れてノブを回せば彼女はベッドの上にいた。
  ひら、と手を振っている。
  「‥‥どうした、具合でも悪いのか?」
  ベッドの上に大の字になって横になっている彼女に龍之介は近づき、声を掛ける。
  「あ、平気平気。
  具合が悪いんじゃなくて、ちょっと眠いだけだから。」
  へらへらと笑うその顔は、確かに眠たそうだった。
  ほっと胸をなで下ろしつつ、龍之介は呆れたような顔になる。
  「じゃあ、寝ればいいだろ?」
  こんな豪華なベッドがあるのだ。寝るためにベッドはある。
  しかし、はそれに仰向けに横になったまま「んーん」と首を振った。
  横になっている時点が半分寝る気なのだろうが、意志はそれをさせまいとしている。
  「寝たら‥‥また、あいつら来るかもしんないし。」
  「あいつら‥‥って‥‥?」
  はちろ、と龍之介を見上げる。
  瞳に嫌悪の色を浮かべたのを見て、また、自分の失言に気付いた。
  「‥‥昨夜の‥‥」
  どうしてこう、自分は頭が回らないのだろう。
  昨夜の事を知っていて、今朝だって自分は彼女の事を心配していたはずなのに。
  「‥‥わ、悪い。忘れていたわけじゃあないんだ。」
  「なんで謝るかな。」
  慌てて謝る彼には苦笑を向ける。
  「龍之介は昨日助けてくれた恩人なんだし。」
  「‥‥」
  「ありがとな。」
  眠気のせいか、弱々しい笑みが表情に浮かぶ。
  それを見て、ずきりと龍之介は胸が痛んだ。
  「いや、俺は‥‥」
  礼を言われるような事は、何も出来ていない。
  確かに、彼女をあの時は助けられたかも知れないけれど、次、大勢で来られた時には彼が助けられるかどうか分からない。
  彼女が危ない目に遭っているのに気付かないかも知れない。
  こんな小さな身体で男の暴力を受ける彼女を‥‥同じ男なのに絶対に守ってあげる事が出来ない。
  情けないものだ、と彼は思う。
  もっと力があれば、彼女をここから救い出してやれるかもしれないのに‥‥
  力がない自分は、せいぜい、あれくらいしか出来ないのだ。

  「龍之介‥‥私はおまえがここにいてくれて嬉しいと思ってるよ。」
  俯いてひたすら無意味に落ち込む彼に、は言った。
  気休めを言わないでくれ。余計に虚しくなるじゃないかと龍之介は思った。
  そう言われて嬉しい癖に、捻くれた自分はその優しい言葉さえもはね除けようとする。
  ははね除けられても笑って、言った。

  「龍之介がいなかったら‥‥私は一人だった。」
  「‥‥」
  「助けて貰えた事もそうだけど、私は何より孤独じゃなくなった事が嬉しかったよ。」
  「‥‥。」
  情けない顔を向ければはあははと笑った。
  人を小馬鹿にしたような、ではなく、どこか無邪気な顔で笑った。
  「‥‥ありがと、龍之介。」
  優しい声音に、どきりと胸が高鳴る。
  淡い恋心が一気に熱を取り戻し始めるのに気付いて、彼は慌ててそっぽを向いて、何言ってんだ、といつもの、かわいげ
  のない龍之介に戻って零す。
  「お、煽てたって何も出ないからなっ」
  「それは残念‥‥何か出してもらおうと思ったのに。」
  一方のもいつもの調子に戻り、にやりと悪戯っぽく笑う。
  龍之介が「おまえな」と吼えたので、豪快に笑った。

  あははと大きな声で笑うと、心の奥にあった嫌なものが少しずつ、消えていくような気がした。

  龍之介は‥‥昔から変わらない。
  素直じゃなくて、愛想もなくて。
  他人を信じられない不器用な人だけど、
  人を欺く事は出来ない人だ。
  昔から、そう。
  欺かれる事はあっても欺く事など彼には出来ない。
  きっと性根が真っ直ぐなのだ。ひねくれ者でも。
  いや、きっと捻くれ方も真っ直ぐなんだろう。

  彼は‥‥を裏切らない。
  昨夜、自分の声を聞いて飛び込んできてくれた彼は。
  の事を心配してくれる彼は。
  傷つけたと、後悔してくれる彼は。
  自分を‥‥裏切らない。
  絶対に。

  そう、思ったら、すぅと身体の力が抜けていった。
  言わなきゃいけない事があったはずなのに、は言葉に出来ずに‥‥

  「‥‥?」

  笑い声が小さくなり、徐々に消えていく。
  瞼が完全に閉じたまま、開かなくなった。
  すぅ、と寝入ったのだと分かる静かな寝息に、龍之介は驚く。

  「あ、お、おいっ!?」
  、と声を掛けたが、彼女は目を覚ます気配はない。
  さっきまで頑なに睡魔に抗っていたというのに‥‥

  安心‥‥したのだろうか?

  龍之介は思う。

  自分が傍にいる事によって、彼女は安心したのだろうかと。
  それはちょっと都合良く考えすぎだろうか。
  でも、その寝顔はひどく穏やかで、子供っぽくて、

  「‥‥‥」

  龍之介は困ったような表情を浮かべた後、無言でぐるりと背を向け、その場にどさりと腰を下ろす。
  何か武器はないだろうかと見回したが生憎と‥‥何もない。
  ので、落ちていたクッションを手にして、じっと扉の方を睨み付ける。

  武器がクッションでは姫君を守るナイト‥‥なんて格好いいものにはなれそうにもない。
  きっと彼女の恋人ならば素手でだって戦うのだろうなと思いながら、彼はそれでも、と願う。


  姫君を守るナイトの‥‥飼い犬、くらいででも良いから、彼女の事を守れれば良い――