「‥‥な、なに‥‥?」
今度は何かと恐る恐る片目を開いてみた。
するとどういうことか、視界が淀んで見えた。
まるで膜を張ったかのように、世界が何かを隔てて見えて‥‥
その歪んだ世界の中で、男がくしゃっと顔を歪めるのが見えた。
かと思うと、
――きゅっとその逞しい腕に抱きしめられた。
抱く、というよりは、守るみたいに。
「‥‥泣くな‥‥」
泣くなと彼は言った。
ぱちくりと瞬きをした瞬間、視界が元に戻った。
眦を熱い何かが流れていくのに気付いて、ああそうか、さっきのは涙の膜だったのかと気付いた。
「泣かせたかったわけじゃ‥‥ねえんだ。」
「‥‥」
耳元で聞こえた申し訳なさそうな声に、はいや、と内心で呟く。
これは悲しくて泣いた‥‥というよりは生理的な涙というやつだが‥‥ここで正直に言ってしまえば強引に事を成されて
しまう。
とりあえず男には効果的だったみたいなので、はすん、と鼻を鳴らして泣く真似をしてみた。
「‥‥どうして‥‥こんな事したんですか‥‥」
彼の罪悪感をより煽る為に声音を震わせる。
すると抱きしめていたその身体がびくりと震えた。
その、と彼は言いよどんだ。
「‥‥理由もなくこんなことされたら‥‥私だって怖いです。」
怖くはない。
ただただ腹は立つけれど‥‥
と内心で訂正しておきながら続ける。
そうするとはぁ、と深い溜息が聞こえて、
「‥‥悪かった。」
土方はの身体を離した。
そうして離れると、気まずそうに視線を落とす。
「その‥‥風間の野郎が‥‥おまえに言っただろ?」
「‥‥子を宿せって‥‥あれ?」
毎度来てはそんな事を言って去っていく暇な鬼の頭領の言葉をは口にする。
言ってからそういえば彼らも同じ事を言っていたなと今更ながらに思い出して‥‥
「まさか‥‥」
くしゃっと土方は顔を歪めた。
「あの鬼野郎に奪われる前に俺の子が出来りゃ‥‥あいつだって手出しは出来ねえだろ‥‥」
その言葉を聞いて、思い切り、
「‥‥」
は脱力した。
あほかと言ってやりたい気分だった。
風間に無理矢理手込めにされない方法が他の男の子を孕ませる事‥‥だって?
馬鹿だ大馬鹿野郎ばかりだ。
そもそもそれじゃ、根本的な解決になってない。
そんなことくらいであの鬼がを諦めるのもか。
っていうか‥‥
「なんで奪われる気満々なわけ?」
は呆れたように呟いた。
土方はびくっと肩を震わせ双眸を見開く。
確かに彼女の言うとおりだった。
奪われるくらいなら、自分が‥‥などというのは、最初から認めているようなものだ。
彼に敵わないということを。
確かに‥‥今の所ぎりぎりの所まで踏み込まれている。
助けが一歩遅かったり、が抵抗を緩めていたりしたら‥‥あの男に最後まで奪われていたかも知れない。
でも、
まだ奪われていない。
それには諦めていないのだ。
ははふ、と溜息を吐き、呆れたような眼差しを向ける。
「そこはさ‥‥なにがあっても俺が守ってやるから安心して守られてろって言うところじゃないの?」
何があっても彼に勝つから安心しろと言うところじゃないのだろうか。
確かに何度となくは風間に襲われた。
その度に危機一髪というところで切り抜けたり、皆に助けられたりしたけれど‥‥
「絶対に守り抜くからって‥‥言ってくれるところじゃないの?」
勿論、守られるだけなんて事はしない。
だって自分の身を守るつもりだ。
それでも足りないところを‥‥助けてくれると有り難い。
――それとも、
はすいと琥珀の瞳を細めて挑発するように嗤った。
「あいつに勝てる気がしない?」
最初から勝負を放り出して逃げるつもり?
と、こう言うと土方の目が不機嫌そうに細められた。
誰がそんなこと認めるか‥‥と言いたげなそれに、はほっと安心したように笑った。
「それなら‥‥そんな心配しなくて良いですよ。」
自分だって諦めるつもりもあの男に服従するつもりもないのだ。
だから、
彼らがそんな事を考える必要はない。
「‥‥そう‥‥だな。」
やがて土方は自嘲じみた笑みを浮かべ、ふっと溜息を漏らした。
そうして自分の着衣を整えるとすぐにの袷を正してくれた。
「悪かったな。
こんな手荒な真似をしちまって。」
困ったように謝罪をしながらの腕の拘束を解いてくれる。
ぽいとサラシを投げ、立ち上がると緩慢な動きで部屋を横切った。
部屋に備え付けられた箪笥からごそりと着物を取り出すとの元に戻って、
ふわり、と肩にそれを掛けてやる。
穿き物を穿いていないその格好では心許ないが、男物の長いそれを羽織っていれば脚も隠れるというものだ。
「土方さん‥‥」
「他の連中にもちゃんと言い聞かせておく。
馬鹿な真似はやめろってな‥‥」
だから安心して部屋に戻れと土方は言って、笑った。
その優しい眼差しには胸の奥が暖かくなっていくのが分かる。
ああ、本当にこの男は‥‥
「‥‥」
さて、と文机に向かう男はそれをどうしようかと悩んだ。
男の雄は‥‥女の痴態を目の当たりにし、完璧に熱と固さを高めてしまっていた。
収まる気配は全くない。
まあ、あれだけ見せつけられたらそれも無理というものだ。
仕方ない‥‥どこぞで処理をしてくるとするか‥‥
などと溜息を吐きつつ考えていると、ふいに、
とす、
と温もりが背中に触れた。
ぎくりと男の身体が強ばる。
触れたのが、女の身体だと気付いたから。
折角、
折角、その手を止めたというのに――
「そういう土方さんの優しい所、好きですよ。」
すり‥‥と甘えるようにすり寄せながら告げられた言葉に、
男の自制心はぶつんっと、嫌な音を立てて切れた。
「‥‥なら‥‥構わねえよな‥‥」
「‥‥え?」
どこか虚ろな響きの声が聞こえては顔を上げた。
なに?
いまなんて言ったの?と言いたげに首を捻ったが、振り返った男の顔を見て、
「っ!?」
ぎょ、とその目を見開いた。
どういうことだろう。
先ほど確かに消したはずの男の欲が‥‥再びその目に現れていたのだ。
え?なんで?
どうして?
は自分の失言に気付いていないようだ。
男は些か乱れた呼吸を漏らしながらとんとの肩を押した。
自分の身体で覆い被さるように。
「うわ!?ちょ、なんでっ!?」
先ほど自分の袷を正してくれた男の手が再びの胸元を乱す。
迷わずそこに食らいつきながら土方はもう一度袴の紐を解いた。
「ちょ!もうしないって言ったじゃないですか!!」
は慌ててじたばたと脚をばたつかせる。
ああそうだ、もうしないと彼は言った。
でも、
「おまえが俺を好きならば問題はねえだろ‥‥」
無理矢理でなければ問題はないはずだ。
そう‥‥同意ならば‥‥
「‥‥へ‥‥?」
は思いきり眉を寄せた。
彼の言葉の意図を計りかねているようだ。
「おまえ、さっき言っただろうが‥‥
俺のことが好きだって。」
ちぅと白い肌に花弁を散らしながら言う。
好き?
ああ、そういえば好きという言葉を口にしたが、
「ち、違います!!」
は慌てて頭を振った。
「す、好きってその意味じゃないです!!」
人として好きなだけで、男として好いていると言ったわけじゃ‥‥
「って‥‥ちょっと‥‥ほんと、待って!」
だけど、暴走気味の男の耳には届かない。
待ってという制止の声も聞かずにもう一度猛った雄が入口に押し当てられた。
「ゃ‥‥」
ひくっと華奢な身体が一度大きく震えた。
土方は暴れるその両手に指をしかと絡めて縫い止めると、まるで愛の言葉でも囁くように甘い声で言った。
「俺の子を‥‥産んでくれ。」
誰かこの男を止めてくれ――
は祈るような思いで、ぎゅうっと両の眼を閉じたのだった。
「土方さん‥‥ってうわぁあああ!?」
切っ先が入口を押し開き、とうとう第一歩を許してしまう。
その瞬間、まるで計ったかのように障子戸が開き、
驚きの声が部屋に轟いた。
「なななななな、何やってんだよ!?」
突然の来訪者は驚きに目を見開き、顔を真っ赤に染めながら喚く。
ぼや、と歪む視界に上下逆さまの景色が映り込んだ。
そこに映っていたのは‥‥
「へ‥‥へーすけ?」
その人の姿。
瞬間、の意識は一気に浮上し、
「平助!!」
「うぉっ!?」
呆気に取られる土方を思い切り突き飛ばすと着物の前をかき集め、よろけながら彼の元へと走った。
「平助ぇえ!!」
そうしてがばっと彼の腕にしがみつく。
ふにゃっとその瞬間布越しにまともに女の身体の膨らみを感じて、藤堂の顔は一層赤く染まった。
「お、おまえだけは私に酷いことしないよな?な?」
必死の形相で確認され、藤堂は思わずこくこくと頷いてしまう。
途端、はふにゃと顔を歪ませ、泣き出す寸前のそれでよかったぁと心底安心したような声を上げた。
「やっぱりおまえだけだ!私の味方はっ!」
「おいこら、俺よりも平助の方が安心できるっていうのか!?」
それを聞いた土方は納得できないと言った風に立ち上がる。
「少なくとも今は平助の方が安心できるっ!」
「なんだと!?
そいつだって歴とした男だろうが!」
「でも、土方さんみたいに助平な事は考えてないもん!」
「あ‥‥その‥‥」
藤堂は困ったような顔で二人のやりとりを見守る。
そんな彼も一応‥‥
風間の行動を阻止すべくたち上がった一人なのだということを‥‥は知らない。
いや、知らないままの方が、幸せなのかもしれない。

子作り騒動記
もし、彼らがそんなあほな事を考えたらと言うネタ。
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