「おまえのことを、想像で滅茶苦茶にして―― 一人で抜いてるって言ったら‥‥どうする?」
その衝撃的な言葉に、は何も言ってあげられなかった。
なんと言えばいいのか分からなかった。
だって、彼の性欲を処理する対象に自分がなっているとは思わなかったからだ。
確かに自分は彼女だけど、
全然女らしくも、色っぽくもなくて‥‥
いや、それどころか‥‥
彼がそこまで自分を想う理由が、分からなくて。
がちゃりとノブを回した瞬間、青空が飛び込んできた。
その途端ふわりと香る煙草のにおいに、は彼がそこにいることを確信し、意を決して屋上へと一歩踏み出す。
青空と、グラウンドが見える景色に背を向け、くるりと今し方自分が出てきたドアを振り返った。
見たのは、その向こう。
屋上へと続く扉の向こう‥‥丁度建物の影となるそこに投げ出された手が見えた。
細く筋張ったそれは、彼の手だとすぐに分かった。
春の暢気な空をぼんやりと土方は見つめていた。
火を点けた煙草は‥‥さっきから一度も吸っていないのに短くなっている。
雲一つないそれを見上げていると、頭の中が空っぽになっていった。
空っぽにはなったが、気を緩めるとすぐに思い出してしまって、
「くそ」
男は不機嫌そうに呟き、頭をがしがしと掻きむしる。
思い浮かんだのは愛しい彼女の事だ。
男の性の実態というのを聞いてから‥‥顔さえ合わせなくなってしまった彼女の事。
ああくそ、と男はもう一度内心で呟く。
あの年頃は性について過敏だから、下手な事を言うべきじゃなかった。
適当に誤魔化しておけばよかったものを‥‥何故馬鹿正直に言ってしまったのだろう。
自分も自慰行為をすることがあると。
しかも‥‥彼女をおかずにして、だ。
そんな事を言われたら普通は、引く。
それを何故彼は暴露してしまったのだろうかと自分の迂闊さを呪った。
知って欲しかったのかもしれない。
自分の現状というやつを。
彼女に対しての想いというやつを。
どれほどに彼女が好きで‥‥たまらないかというのを。
まあ、それが見事に裏目に出たわけだが。
「あん?」
ふいに影が自分を覆っているのに気付いた。
物思いに耽っていたお陰で気付くのが遅れてしまったらしい。
なんだと視線を向けると、上靴を履いた足が見えた。
そこから細い黒の靴下に包まれた足が伸びている。
視線を辿っていくと、ふわりと青いスカートが風に靡いた。
そのずっと上に‥‥
「っ!?」
見慣れた、
顔。
「!?」
がばっと思わず身を起こし、土方は名を呼んだ。
「見つけた。」
と彼女は真面目な顔で言うと、身を起こした彼の前に正座をする。
実に10日ぶりに、顔を合わせる。
「あ‥‥と‥‥」
土方は上体を起こし、そこでようやく煙草の灰が指を焼きそうになっていて、慌ててもみ消した。
それを携帯灰皿へと放り込むと居住まいを正し‥‥
でもやはり彼女を直視は出来ず、視線を逸らして、
「なんだよ‥‥」
ぶっきらぼうに訊ねた。
しかし、はすぐには答えない。
なぜか‥‥言いにくそうに、視線を何度も彷徨わせた。
ああ、これは別れ話かな。
土方は我ながら冷静に分析し、でも頭の中は納得できずに真っ白になった。
彼女から別れ話を切り出されて、自分が分かったと承諾できる自信がなかった。
やがて、たっぷりと互いに沈黙した後、
「私‥‥分からないんです。」
は漸く口を開いて、そんな言葉から切り出した。
「‥‥なにがだ?」
視線を向けずに問いかけると、は俯いたままでその、と膝の上に握った拳を震わせて、
「どうして‥‥土方さんが、この間あんな事を言ったのか‥‥」
分からないと彼女はもう一度言った。
その言葉に土方は怪訝な表情で彼女を見る。
別れ話かと思いきや前の話題を持ち出されるとは‥‥
しかも、あれほど分かりやすく自分の情けない実態を暴露したというのに何が分からないというのだろう?
眉を寄せて見つめていると、だって、とは俯いたまま呟く。
「‥‥土方さんが、私の事を考えて、その‥‥一人でしてた‥‥って‥‥」
「‥‥」
「そんなのアリエナイ。」
ありえないと彼女はきっぱりと言いきる。
「‥‥どういう意味だ?」
なんでおまえがありえないと決めつけるんだ?とも突っ込みたかったが、それよりも彼女の言いたい事が分からなくて
そう訊ねると、はだってさーとまた、そんな言葉を先にくっつけて、
「私‥‥全然女っぽくないんですよ?」
と答えるのだ。
「それに、色っぽくもないです。」
ああなるほど。
そう言われて土方は彼女の言いたい事が少し分かった。
自分はこんなに魅力がないのに彼の自慰の手助けになるのかと‥‥そう言いたいらしい。
「いやそれは‥‥」
別れ話ではないと分かると拍子抜けだが、ここはきちんと訂正しなければいけない。
それは、好きな彼女ならばその対象になるだろうとまた馬鹿正直に言いかけ、言葉を選んでいると、決定的な彼女の
言葉が口から零れた。
「それに‥‥私、土方さんにそんな想ってもらえるような女?」
常々、は自分と土方は釣り合わないと思っていた。
彼のように大人で、綺麗な人間と‥‥自分のように子供で、かわいげのない人間が。
どう考えても自分ばかりが相手の事を好きで‥‥ある種一方的な想いだと。
そう思っている彼女にとっては、彼が自分をそうまで思ってくれる理由が分からない。
抱きたいとか、そういう感情を抱いてくれるような存在とはとても思えないのだ。
そんな言葉に、
「‥‥」
はぁ。
と土方は盛大な溜息を漏らした。
疲れたような溜息には「ひどい」と声を上げる。
「私は真剣に‥‥」
「なあ――」
言葉を遮り、土方は胡乱な目をこちらへ向けた。
「どうしたら信じてくれる?」
どう伝えれば、彼女は信じてくれるのだろう。
悲しさよりも怒りよりも、浮かんでくるのは呆れだ。
「俺は何度おまえに好きだと言えばおまえは信じてくれる?」
「ひじ‥‥」
そっと伸びた手がの喉元に伸びた。
細い首に大きな手で包むと、は息を飲んだ。
彼の手が‥‥熱かったのだ。
「好きで好きでたまらねえって気持ちは、どうしたらおまえに伝わる?」
「っ」
「おまえが好きで、甘やかしたくて、滅茶苦茶にしてやりたくて仕方ねえって気持ちは‥‥どうしたら‥‥」
そしてその手がそっと下へと滑る。
開いた襟元から覗く素肌を触り、緩められたネクタイの結び目を指先に引っかける。
そのまま強く引かれればはらりとタイは緩められ、解かれた。
あ、と思っているとその手がセーターの上からボタンを一つ、一つと突いていった。
「言葉にすればいいか?
形にすればいいか?」
それとも、
「っ――」
男の指がの胸の始まりに触れた。
瞳にじわりと熱と欲が浮かび、その目で見つめられ、はぞくりと背中を震えが走るのが分かった。
男のこんな表情を見て色っぽいと感じたのは初めてだった。
「‥‥強引に‥‥おまえを奪えばいいか?」
この想いを、直接肌で、熱で、
伝えれば信じてくれるか?
指先がその胸の形を確かめるみたいに滑る。
「あ‥‥ぁ‥‥」
は自分の顔が真っ赤だというのが分かった。
耳まで熱くて‥‥恥ずかしくてたまらなかった。
「言えよ。
おまえが納得する方法で伝えてやる。」
それでも男は止めず、囁くように言った。
「教えてやるよ。」
と。
「俺がどれだけおまえを想ってるか‥‥何度だって教えてやる。」
掠れた余裕のない言葉と、その眼差しに。
「も、もういいですぅ‥‥」
は情けない声を上げて降参と告げるのだった。
切 望
書きたかったのは男土方の本音。
いやだって彼も男の人ですから←
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